五街道

五街道

五街道は、江戸日本橋を起点とする5つの街道のことで、1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、全国支配のために街道を整備し始め、四代将軍徳川家綱の代に次の5つが基幹街道として定められました。

・東海道(1624年完成)
・日光街道(1636年完成)
・奥州街道(1646年完成)
・中山道(1694年完成)
・甲州街道(1772年完成)

街道の整備として、一里(約4km)ごとに一里塚、一定間隔ごとに宿場が設けられ、各街道の宿場の内、日本橋に最も近い宿場が、江戸四宿と呼ばれました。
ちなみに、五街道の正式名称が定められたのは、1716年(享保元年・第八代将軍徳川吉宗)とされています。

日本橋

五街道の起点『日本橋』

さて、五街道の起点はなぜ日本橋なのでしょうか?疑問に思い調べてみましたが、「なぜ」という疑問に直接応えてくれるものは、残念ながら見つかりませんでした。


徳川家康は、江戸を築くに当たって風水を大事に考えていました。恐らく江戸の街ほど複雑かつ効果的に風水が使われている街は他にないという専門家の意見もありました。

五街道は、家康にとって日本支配の要であり、物流の中心地という役割を担っていました。そこから考えていくと、幕府の置かれている江戸城から見た日本橋の位置が、風水的に最も運気が強い方角だったのではないかとの仮説が導き出せます。

現在の日本橋(地域名ではなく橋としての日本橋)の上に高速道路が通ったことにより、日本橋の強い運気が抑えつけられているという専門家もいる位ですので、かなり有力なのではないかと思うのですが、風水、特に江戸風水に詳しい方からの連絡をお待ちしてます。


そしてもう一つは、日本橋付近が、江戸における最初の町人地が設定された地域というところから導かれるものです。

江戸城を治めていた北条氏にとって、江戸城はさして重要視されていない支城の一つでした。十分な城下町を作るための平地が少なかったからです。

しかし、関八州の首府となりうる基礎は既に存在しており、家康はそこに着目して、埋め立てを行い、現在の常盤橋門外から日本橋北にかけての地域に最初の町人地を設定しました。

未開地の初めての町人地ですから、当然最も発展した町となっていきます。そのため、物流の要を担うことから、日本橋を五街道の起点にしたのではないかとの推測も成り立ちます(よね?)


いずれも素人考えの推測に過ぎませんので、この辺詳しい方からの情報をお待ちしてます。

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